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  掲載記事は会員個人の視点で書かれたもので、アムネスティの見解ではありません

2024・1/7  あけましておめでとうございます 

おめでとうございますと言えぬような大変な惨事での新年の始まりとなりました。 能登半島の地震により困難な状況に見舞われている方々にお見舞い申し上げます。
ウクライナ、パレスチナ、スーダン、シリア他アフリカ、中近東地域での紛争も 終息は見えていません。どうしてこんなにも世界は混沌としているのか。 私たち人間はどうしたのだろうと考えずにいられません。私たちは何をしたら良いのだろう。 答えの見つからない日々を送るのだろうか。人びとの幸せを祈るしかない毎日。


ハナ



2023・10/15 イスラエル/パレスチナ紛争 
イスラエルとパレスチナハマスの戦闘状況が連日、新聞、テレビで報道されていて 心を痛めておられる方も多いと思います。 両者の大規模な紛争にまたかとの思いといつになったら平和な日が訪れるのかと 絶望的な気持ちになります。

日本を含めて欧米諸国は、イスラエルの軍事行動を支持し、一方的にハマスを非難していますが、 今まで国際社会は、このような事態が起こらないように何かしてきたでしょうか。
国際法、国連決議を無視し続けて、パレスチナを占領し入植地を拡大し、パレスチナ人の土地を 取り上げたり、住宅の破壊、移動の自由を奪いパレスチナ人が普通に生活するのを 困難にしてきたイスラエルの政策を見過ごしてきたのではありませんか。

最近は西岸での入植地拡大は大規模になり、米国の懸念表明も無視して行われています。 入植者たちのパレスチナ人に対する暴力も激化し、死者も出ています。
イスラエルによるヨルダン川西岸地区の各都市への攻撃が激しくなり、今年はすでに167人が犠牲になっています。 マスメディアの報道も西側諸国に沿った物になっていると思います。 なぜ今回ハマスがイスラエル攻撃に踏みきったのかが問われるべきです。
圧倒的に武力、物資に差があり、到底ハマスに勝ち目がないのに なんでこんな無謀なことをするんだろうと思います。人が死ぬだけなのにと。
最近の国際状況から、パレスチナが見捨てられて行くと危機感を もったのではないかと想像します。捨て身の作戦なのでしょうか。

 https://www.youtube.com/watch?v=Agc7T2z8R30 (西岸の状況)
 https://www.youtube.com/watch?v=UnV0XGyjyEg (ガザの現在の状況堀潤さんのインタビュー)
 Agence Media Palestine(フランス語ですが日本語も選択できます)

       イスラエルの高官の傲慢な発言

 2023年10月9日、イスラエルのヨアヴ・ギャラント国防相は
「我々は[ガザ]に完全な包囲を課している。
電気も、食べ物も、水も、燃料もない――すべてが止まっている。 私たちが戦っているのは人間の動物であり、それに応じて行動します。

 領土政府調整官(COGAT)のガッサン・アリアン少将は、
「イスラエルはガザに全面封鎖を課し、電気も水もなく、被害だけを課した。 あなたは地獄を望んでいました、あなたは地獄を手に入れるでしょう。」

 イスラエルのエネルギー・インフラ大臣イスラエル・カッツは、
「何年もの間、私たちはガザに電気、水、燃料を供給してきました。
私たちに感謝する代わりに、彼らは何千もの人間の動物を屠殺、殺人、レイプ、 誘拐に送り、赤ちゃん、女性、高齢者を誘拐しました。
そのため、水道、電気、燃料へのアクセスを遮断することにしました。 彼らの地元の発電所は現在地上にあり、ガザには電気がありません。

ガザの人びとをこのような目に合わせて良いのでしょうか。これは集団懲罰です。  パレスチナ人はイスラエルのお情けで生きているかのような発言に驚きます。 生きていくための最低限の物資を取り上げるのは非人間的な行いではないでしょうか。
そして、ガザ北部からの住民の移動指示は狭いガザでは非現実的だしナクバを思い起こさせます。 パレスチナ人を追い出した後を占領するのではないかと想像します。 現にイスラエルは、指示があるまで戻ってはいけないと言っています。

ハナ



2023・1/7  あけましておめでとうございます 


心からおめでとうございますと言えない気持ちがくすぶっています。 これからどんな未来が待っているのかと考えると不安になります。
日本は世界は何処に向かっていくのか。
人びとの経済格差の広がり、地球環境の急激な変化、弱者への配慮の欠如、寛容さの喪失、 戦争への志向、極右翼化、問題への単純思考等々が人びとをますます分断させていくのではないか。
では、どうしたらよいのか。無力感に打ちのめされるが、諦めたらおしまいと思う。 世界の、社会の動きに関心を持ち、声を上げるしかない。 自分自身の生活の見直しと倫理感を持つことが大事かと思う。


ハナ



2022・03/09 ロシアのウクライナ侵攻 
 私たちは、 壊しては作りそして理不尽な人間の死を繰り返す人間の愚かしさを永久に見ていくのだろうか。 こんな愚行に懲りるときがやってくるのだろうか。
遠いところにいる私には、突然の忌まわしい出来事のように思われるロシアによるウクライナ侵攻。 日に日に悪化する惨状。高齢者から赤ちゃんまで他国へ逃れなければならない様子に胸が痛む。 突然、平穏な生活が奪われ、不安な面持ちの子ども、夫の無事を心配し涙を流す妻、 足取りもおぼつかないお年寄り。彼らをこんな目に合わせているのは誰だ。

 国のリーダーの役目は、人びとの命を守り、平和な暮らしを守ることに尽きるのではないかと思う。 ロシアのプーチン大統領もウクライナのゼレンスキー大統領もそれを果たしていない。
  ロシアにもそれなりの理由はあるだろう。ソ連時代は同じ国であったウクライナがロシアから離れ ヨーロッパに近づいていくことに対する不安。欧州諸国に包囲されていくことへの恐怖があるのかもしれないが なぜ、近い欧州諸国と敵対せずに友好的に付き合うことを考えないのだろうか。(日本にも言えることではあるが)
ウクライナもクリミアを強引に併合したプーチン大統領がとんでもないことを仕掛けてくることを 想定できなかったのは迂闊だと思う。NATOに加盟せずに中立を守り、ロシアを刺激せずに対処することはできたはずである。
  譲歩と相手を尊重することができなければ戦争になる。そして犠牲になるのは一般市民であり 自分の利益しか考えない権力者は何の痛みも感じない。 どんな人間をリーダーに選ぶかは市民一人ひとりの責任だ。 安易に武力(暴力)を行使する者に権力を持たせてはいけない。暴力は憎しみしか生まないのだ。


ハナ



2022・1/24 あけましておめでとうございます 


今年もコロナウイルスで明けた年になってしまいました。 新ウイルスのオミクロン株が猛威をふるっています。
行動が制約される日々が続き何かもやっとした閉塞感があります。このことが私たちに 諦めの感情を知らず知らずのうちにもたらしているのではないかと思われます。 これはとても危険なことではないかと思い、さまざまな社会の問題から目をそらしてはいけないと 自省をし、懐疑と批判精神をもち続けたいとあらためて思う新年です。


ハナ




2021・4/5 わきまえすぎた女たち
 私たちはわきまえすぎたのだ。だから、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会元会長森喜朗元首相が 当たり前のようにあんな発言ができたのだ。「女はわきまえなさい」と暗に示している圧力発言。
この方は以前にもおかしな発言をしている。「子どもを作らない女性が 自由を謳歌し楽しんで年取って、税金で面倒を見なさいというのはおかしい云々」、 最近では「女性と言うにはあまりにお年」等。本人は気の利いたことを言って笑いを取りに行っている つもりかもしれないが自身の女性に対する差別意識を明らかにした事は功績かもしれない。 この発言により非難を受け辞任、又社会に性差別問題を喚起させた。

 こんな発言を平気で出来る社会を黙認してきた女性にも責任の一旦はあるのではないかと反省する。 私たちはものごころがついた頃から「女の子は素直に言うことを聞いて、可愛いのが良い」 「出しゃばっちゃいけない、おとなしくしているのが女らしい」等の呪文を聞かされて生きてきた。 「女らしい」という言葉は私たちを縛ってきた。「男らしい」も男を縛っていたかもしれない。
「女は控えめが良い」と。控えめにするかしないかは自分で決めることであり女だからそうするのではなく 人間としての選択だ。 現在においては、こんな状況はずいぶんと変わってきたと思うが、まだまだ社会の底流にしつこくとどまっている。 女は常に従順で可愛いらしさを求められ続け、男性の庇護を受ける存在として認識されていた。 能力ある一個の人間として男社会の中で認められてこなかった。 今ではこんなことは無いと思うが、会社においても話を聞けば女子社員でも対応できることを相手先から 「女の子じゃなく、男の人にかわって」と良く言われたものだ。

 こんな日々をものごころ着いた時から過ごしていれば、無意識のうちに女性自身がこの社会の 価値観に沿った生き方になってしまうのも無理もないが責任を感じるところでもある。
この世間の常識に異議を唱えれば「わきまえない、うるさい女、 可愛くない女」と決めつけられるので沈黙してしまう。 波風を立てるのは面倒なので、腹立つが心の中で悪態をつきながら我慢するということを女性たちは ずうっと続けてきたのだ。社会の通念に従って生きていく方が楽なので、 女性自身が自分たちを抑圧する社会通念や制度と闘わずある意味加担してきたともいえる。
 家父長制も崩れつつあるように人びとの意識と社会は変化している。 市民運動では女性の方が男性より活躍しているように見える又 女性がリーダーとなっているグループは多いと思われる。 この傾向は一般社会にも浸透していくのではないだろうか。 そうさせるためには、女たちが「わきまえすぎない」で行動することが必要だ。
家庭で主導権を握っている母親に望みたい。 古い常識で育てられた成人男性を変えることは非常に難しいので まず自分の子どもから変えてゆくことを。 小さい頃から「男女差別をしない」、「男らしさ」「女らしさ」を強要しないこと、 「等しく能力を認める」。 こうして育てられた子どもが社会に出た時に、社会は変わって行くだろうし、 森喜朗氏的発想をする人たちが消滅するのではないだろうか。 女性たちの使命は重い。

ハナ



2021・1/10 あけましておめでとうございます

 昨年は世界がコロナウイルスに席巻された年でした。そして今年もその勢いは止まりません。 日本はまさに第三派の真っ最中です。市民運動も影響を受け、活動を停滞させざるを得ない状況が 続いています。人と接してこその活動が市民運動のだいご味だと思うので、この状況はさみしい限りです。
今のウイルス禍が収まった時、私たちはこの教訓を生かすことができるでしょうか。私たち人間の営みが 変わるでしょうか。世界の億万長者2153人が持つ富はその他46億人が持つ富の合計より多く、 約900兆円になるとの報告がオックスファムより出たと報道されています。恐ろしいほどの経済格差が 進行しているのです。世界人口の約半分は1日約606円以下で生活している。 人びとの経済格差が大きくなっていることが私たちから寛容さを奪って行き、分断を生んでいくのだと思います。
これから益々人権侵害が増大していくのではないかと恐れます。 そして自然環境への配慮が緊急の課題だと思います。

ハナ




2020・4/20 ウイルス禍
 現在、私たちを混乱させているウイルスによる社会不安の中で、 私が一番納得できないことは、感染者、医療従事者に対する差別である。
京都の大学生がクラスター(集団感染)を発生させたことに対して、 感染者のみならず大学全体に対して差別発言をしていること、また、 ある地方で若い女性感染者に対して「殺人鬼」などと呼ぶ政治家。 日々、感染の恐れに直面しながら感染者の治療に当たっている医療従事者とその家族に 対する差別等々。
恐怖にかられて、このような行動を取っているのかもしれないが、 それは何の解決にもならないし、社会をますます不安に陥れ、社会全体をヒステリー状態に してしまう恐れがある。 何時、自分自身、自分の家族、自分の大切な人が感染者になるかもしれない。 その時には自分の発した言葉、行動が自分自身に返ってくることを考えないのだろうか。
ウイルスは人を選んで感染させるわけではないし、誰でも感染する可能性はある。 感染した人は被害者であるのに、なぜ責められなければならないのか。 何故、謝罪しなければならないのか。謝罪をする理由はないと思う。 日本人はやさしいと言うが、本当にそうだろうか。 どこにでも、やさしく寛容な人とそうでない人がいるが、日本人の多くは 自分に迷惑が掛からないときには親切だが、そうでない場合は違うように思う。

 ウイルスが爆発的に感染を引き起こすようになったのは、人間が農耕牧畜生活し定住するように なってからと言われている。大昔は人間が少数単位で生活を営み、病気が発生すると その土地を捨てて他の場所へ移住していたため爆発的な感染が起こらなかったと推測されている。
グローバル化し、物、人の移動が激しくかつ早い今日において、感染規模の拡大は必然と思われる。 人間による自然破壊、開発により動物、植物との距離が近くなっていること、また地球温暖化も 関係しているかもしれない。
人の密集が感染を広げていることを考えれば、大都市への集中も 変えていかなければならない問題だ。 このウイルス禍は私たちの社会の在り方そのものを問い直すことをうながしているように思う。 感染者を責めている場合ではないのだ。

謎の芸術家バンクシーが日夜ウイルスと闘っている医療従事者たちにこの絵を送りました。


ハナ




2020・1/1  あけましておめでとうございます

 ますます、人権の大切さを思い知らされる社会になっています。21世紀はこんなはずじゃなかったと。 しかし、進歩していることもあるので諦めてはいけないと思う。一人一人が自分の持っている力を自覚すれば 世の中は変わる。来日したローマ教皇が無関心は悪だと言われたが、まったくその通りだと思う。

ハナ





7/23  諦念を乗り越えて
 選挙が終わった。またもや同じことが続く。
誰が選ばれようが、どうせ世の中変わりやしない、 政治なんて自分たちに関係ないと思っている人が 多いのでしょうか。 私たちの生活のすべてが政治に左右されているというのに。 また、選挙のたびに同じ結果であることに、嫌になってあきらめてしまうのでしょうか。 本音を言えば、私も徒労感にとらわれています。
 しかし、みんなが意思表示を放棄した先にはファシズムが待っています。 独裁者はそれを待っているのです。自分の意見を持たない人間ほど扱いやすいものは ないのです。扇動し操るのにこれほど都合の良いものはない。
絶対にあきらめちゃ駄目。最後まで、自分の意思を表現しなければと 自分自身を奮い立たせる。 そして多勢に乗らず、自分の考えで物事を判断する力を持つことの 大切さを肝に銘じる。

ハナ




1/9 自己責任と記者の仕事 
 国境なき記者団の東アジア担当のアルビアニさんは シリアで武装勢力に拘束され、3年4か月ぶりに解放されたジャーナリスト安田純平さんが 日本において「自己責任」と一部で責められていることに理解に苦しむと 毎日新聞に寄稿している。
危険を承知の上で紛争地に行く彼らの活躍なしには真実の情報を得ることはできない。 私たちは、世界で今、何が起きているのかを知らないで良いのか。 彼らジャーナリストが私たちの代わりに危険地帯で働いてくれていると 思えば、責めることなどできないはずだ。

 2018年だけでも世界中で殺害された記者は63人に上ると言われている。 殺害の背景は様々だろうがみな自分の仕事を成し遂げた結果であろう。 アルビアニさんによれば、世界中で記者に対する風当たりは強くなっているそうだ。 欧州でもポピュリズム勢力が記者を「民衆の敵に」仕立て上げているとのこと。 トランプ大統領もしかりと。
記者への攻撃とマスメディアに対する攻撃は違うかもしれないが、 メディアがしばしば権力に加担して真実を伝えて来なかったこと、また、 大衆の低俗な関心を煽り真実を歪めた報道を重ねてきたことが 現在のメディアに対する不信感を作ってきたのではないか。
メディアが再び社会での指針となり信頼を得るためには地味でも真実を伝え、 人びとに寄り添った報道をすることしかないと思う。

ハナ



2019・1/8 あけましておめでとうございます

 良識と節度、寛容がどんどん失われていくようで不安です。
私たちはどこへ行こうとしているのでしょう。 新たなルールを模索しているのでしょうか。

ハナ




2018・1/15 あけましておめでとうございます

 過ぎ去った1年を振り返ると、不可解なことばかりで、 今までの経験、培てきた考えがなんであったのかと、 不思議な無力感にとらわれました。しかし、この無力感が 曲者です。このままでいたら全くの敗北者になってしまい、 未来に対する責任を放棄したことになります。

 映画監督の伊丹万作(伊丹十三の父)が1946年に、 戦後に多くの人が戦争で騙されたと言っていることに対して、 「造作なくだまされるほど判断力を失い、思考力を失い、、信念を失い、自己の一切を ゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、 無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」と書いていたことが、 保坂正康氏によって紹介されている記事を読み、自分の無力感の浅はかさを 痛打された気がしました。

ハナ



2017・5/2 映画「わたしはダニエル・ブレイク」を観て 
 イギリスの巨匠ケン・ローチが監督し、カンヌ映画祭で最高のパルムドールを受賞した 映画「わたしはダニエル・ブレイク」を観ました。
ケン・ローチは「自分にとって映画の伝統のひとつは、困難な状況にある人々の戦いを描くこと。 大切なのは、希望を持ち続けること。異なる世界を作り出すことは可能であり、 そして必要なことなのだ、ということを(映画で)訴えていきたい」と語ったそうです。

 物語はイギリスのニューカッスルに暮らす中年の大工ダニエルが心臓を悪くして、医者から 働くことを止められます。働かなければ収入の道は途絶えますから、国の制度を利用して、 援助を受けようとしますが、複雑な制度、複雑な申請方法に翻弄される日々が続きます。 そんな中、やはり貧困に苦しむ二人の子どもを抱えたシングルマザーと知り合い、助け合います。 ダニエルとシングルマザーの一家の日常が描かれます。

 ダニエルが国の支援を受けようと申請するのですが、対応する役所の職員は 規則に沿った対応しかしません。ダニエルのおかれている現実、状況を 見ようとはしません。申請手続きもパソコンでしなければならず、 パソコンに悪戦苦闘するダニエル。いくらダニエルが自分の状況を訴えても職員は耳を傾けようとはしません。 職員にとってはダニエル・ブレイクと言う尊厳を持った人間ではなく何番目かの申請者にすぎないのです。 職員は規則通りに自分の仕事をこなすだけで、そこには感情の入り込む余地はないし、人情を持って 対応しようとする職員は上司から注意を受けてしまいます。

 全てをシステムの中に収めこむことしかできないようになってしまっている現状の おかしさを描き出していて、日本での生活保護行政を思い、どこの国も同じだなと思わされました。 もうそこには人間的な感情が入ってはいけないようになってしまっているのです。 システムはことをスムースに効率よく進めるために、私たちが作ったのですが、 今や、私たちはシステムの奴隷になって、人間らしい感情を持って、仕事をすることが できなくなっている、人間らしい感情を持っていてはシステムからはじき出されてしまうのです。 社会はすごく便利になりました。しかし、私たちは大切なものを沢山失ったのではないでしょうか。

 この映画は厳しい現実を描いていますが、画面からは不思議と明るいものが漂ってきます。 貧しい人たちの優しさ、助け合う姿を優しく、ユーモアを含めて描いています。 さて、日本ではどうかなと考えてしまいました。私たちの周りに、この優しさとユーモアがあるでしょうか。 こんな温かさがあるでしょうか。

ハナ




2017・1/15 あけましておめでとうございます

 不安な気持ちがますます強くなってきました。世界は日本はどこへ向かっているのでしょう。 この社会が行き詰まっていることは様々な事象を考えれば明らかです。
人間の際限のない欲望が原因でしょうか。余裕のないいつも何かに追い立てられているような 私たちの生き様が、他者への思いやりと想像力を持つことを妨げていると思われてなりません。 それが、結局、私たちを生きづらくさせているのではないでしょうか。
私たちが追い求めていける理想、思想が必要になっているのではないでしょうか。 思想家、哲学者がそれを提示できていないと思います。そんな簡単な世の中じゃないと言われるかもしれませんが。 今は、新たな時代を作る前の、混迷の時なのだと思いたいです。そのようにして、今日まで世界は変化してきたのですから。 希望を失ってはいけないと言う思いの、一方で、この地球は人間が支配しない時代がきても良いのではないかとも 思ってしまいます。

ハナ




2016・1/7 あけましておめでとうございます

 何事もなく、健康で、心にとらわれない状態を指す言葉として、 「無事」が禅の世界で書かれます。この1年がそうでありますようにと、 祈らずにいられません。
昨年は激動の年でした。世界においても日本においても。 1月のフランスにおける新聞社襲撃にはじまり、終盤に来てまたしてもフランスで テロ事件が起こり人命が失われました。シリアの混迷、大量の難民。日本では安保法案の成立と TPP加盟、ISによる日本人二人の殺害、オリンピック関連騒動、水害等々、本当にいろいろありました。 新年をむかえて希望を持ちたいですが、なにやらとても不安な気持ちです。 しかし若い人のなかに真の民主主義を求める動きがある ことに希望を持ちたいと思います。

ハナ




6/04 なぜ人はボランティアをするのか
 なぜ人は身銭を切って、ボランティア活動をするのか。 ボランティア活動を人に強制されて、している人はいないと思う。 ボランティアは仕事ではないので、あくまで好きでやっているということになる。 活動の中にはすることが様々あるが、「あなたはこれをしなければいけない。これをしなさい」と 命令することはできない。無償の行為なのだからしなければならないという義務は生じない。 本人の自主性にまかされているのだ。 強制されたら人は逃げだすだろう。「これを私はしたかった。これなら私にもできる」と 思わなければ、人は動かないし身銭も切れない。 ボランティア活動を始める動機は人それぞれだと思うが、ほとんどの人が 「人の役に立ちたい、自分のためだけではない生き方をしたい」と思ったのではないだろうか。 人間には人に喜ばれたい、人の役に立ちたいと言う願望が潜在的にあるように思う。 だから、自分の貴重な時間とお金を使って、ボランティアをするのだろう。 結局は人のためではなく、自分のためにしていると言うことになる。
義務だとか犠牲的精神だったら、長続きしないし、息苦しくなって、逃げ出したくなるだろう。 ボランティア活動はゆるやかに、気張らず、楽しくそして少し真面目にするのが良いと思う。

ハナ




2/21 人質事件の検証を
 フリージャーナリストの後藤健二さんが殺害されてから この件について、ずうっと考えています。 何故、湯川、後藤両氏は殺されなければならなかったのか。 二人は何も悪いことをしていないし、IS(イスラミック・ステート)にとって なにか不利になることをしたのでしょうか。 「二人が危険な地域に勝手に行ったのだから、どんな目に遭っても仕方がない。 それを覚悟で行っているはずであり、”自己責任”だ」と言う人が(メディアにも) いますが、そうでしょうか。
では、山や海で遭難した人も勝手に遊びに行ったんだから、仕方がないと 言って助けないのでしょうか。 自分や、自分の家族、親しい人が海外旅行に行って、危険な目に遭っても、 国からもどこからも援助の手が差し伸べられなくても、勝手に行ったんだから 仕方がないと考えるのでしょうか。 実際、悪天候下での登山でも海などの遊泳でも、何かあれば助けています。 見殺しにはしていません。それは当然のことです。 それが国民の命を守ると言うことでしょう。
悪いのはIS(イスラミック・ステート)であって、湯川さんも後藤さんも 責められる理由はありません。非難されるべきは残虐な行為をしたISです。
私が最も疑問に思うのは、二人が人質にとられていることが、 分かっていながら安倍首相が中東に行き、エジプト訪問時に 「ISと戦う周辺国に2億ドル(200億円)の支援をする」と表明し、 その後イスラエル訪問時には人道支援のためにが付け加えられましたが わざわざその鼻先でISを挑発したことです。 ISは二人を殺害後、最初から日本政府が200億円の身代金を払うと思っていなかった。 (最初の身代金要求は20億円で後藤さんの妻へのメールです。日本政府はこの事実を を承知していましたが何も対応していませんでした) 人質殺害は安倍首相に恥をかかせるためにしたと言っています。 日本政府は二人の殺害をISに促してしまったことになります。
二人も人質に取られる重大案件を抱えながら、あの年末の総選挙を強行したことからも 政府は二人の命を重く見ていなかったのではないかとの疑念がわきます。 次から次と疑問が浮かびます。 今後のために、なぜこのような結末を迎えてしまったのか、 適切な対応とはどのようなものなのかを検証してほしいと思います。 無念の思いを抱きながら亡くなられたであろうお二人に祈りを捧げます。

ハナ



2015・1/4 あけましておめでとうございます
 今年も紛争に明け暮れる年になるのでしょうか。 なぜ、こんなにも命が軽々しく扱われるように なってしまったのでしょう。私たちはなにを学んできたのかと、 考え込んでしまいます。他人を尊重し自分と他人の人権を守ることが まだまだできていないことを思い知らされます。 この分野において私たちの世界はまだ発展途上なのです。 未来に向けて一歩づつ、辛抱強く歩くことが求められているのでしょう。


ハナ



12/2 冤罪は私たちがつくる *映画「デビルズノット」をみて* 
 映画は1993年、アメリカのアーカンソン州ウエストメンフィスで 起きた児童3人殺害事件をドラマ化したものです。
男の子3人が自転車で森へ遊びに行き、行くへ不明になります。 翌日、警察の捜査により森の小川で発見されました。 書くのがためらわれるほど悲惨な遺体の状況でした。 全裸で手首とかかとが彼らの靴ひもで縛られ、身体には 暴行の痕がありました。 そのあまりの残虐さに町の人びとの怒りは大変だったようです。 そして遺体発見から2日後に容疑者として19歳の少年が警察の 尋問を受けました。その後知的障害のある少年と16歳の少年が 共犯として取り調べを受けます。
 警察の捜査は非常に杜撰なものでした。 最初から少年3人が犯人であると決め付けている捜査でした。 少年たちに有利な証拠には目をつぶり、ひたすら少年たちの 犯行であるとしたのです。また重要な証拠の取り扱いは信じられないくらい いい加減で、それらを紛失したと警察は言いました。 袴田巖さんもこうして犯人にされたのでしょう。
 証言者たちの証言には矛盾がいくつもありました。 犯行を自白した少年の供述もいい加減なものでした。 例えば手足をロープで縛ったと供述していますが、実際は 靴ひもです。後に何人もの証言者が警察に脅かされて 証言したと言って、証言をひるがえしています。
 警察も裁判所も陪審員も人びともそれらの矛盾を無視し、 3人の少年の犯行としたのです。皆、早く犯人が欲しかったのです。 メディアも同じです。メディアが大衆をあおり、大衆に迎合します。 こうしたことはどこの国でもおこり、冤罪を生みだしていくのでしょう。
 なぜ少年たちが犯人と疑われたのでしょうか。 主犯格とされた少年の家庭は生活保護を受けている貧しい家庭です。 彼は学校にも余り行っていませんでした。ヘビーメタルロックに 入れ込んでいたこと、オカルトに興味を持っていて、これに関連した 本、品物を持っていたこと、いつも黒いコートを身に着けていて変わった格好を していたこと。これらのことが彼に不利に働きました。 外見、人と違う考え、行動、生活態度だけで反社会的存在であると 判断してしまう恐ろしさが伝わってきます。
 一人の調査員が10代の少年を死刑にすることはできないと思い、 調査に乗り出し、冤罪の疑いをだきます。 しかし、もうすでに流れはできていました。陪審員たちは他の可能性に 目を向けることはなく、彼ら3人の犯行と決め付けました。裁判官も同じです。 何一つ物証もなく犯人とされ一人は死刑、二人は終身刑とされました。 (いまではDNA証拠も一致せず、すべてが無実を証明していることが明らかになっています) 人びとはもう何を言ってもどんな事実を提示されようと、耳を貸さない見もしない状態に なってしまうのです。モラルパニックになっているのです。 これは熱狂する大衆の暴力です。 人びとの判断は他人の生死、他人の人生を左右する重大な責任を負っています。 これは恐ろしいほどの責任です。 冷静さを失わず、他人に迎合しないことの大切さを痛感させられます。 人びとが冷静さを失い、パニックになって、とんでもないことをした例は 数々あると思います。例えば関東大震災時の朝鮮人虐殺とかがあります。
 このメンフィスの事件はアメリカ史上最悪の冤罪ではないかと疑いが起こり、 多くの著名人が支援活動をしています。
 2011年に犯人とされた3人は有罪を認める代わりに釈放するという司法取引に 応じ、18年の懲役後に釈放されました。(釈放後、アーカンソン州を訴えないことが条件でした) なぜ、司法取引に応じたのか。死刑執行が目前にせまっていたためでした。無実を主張しつつ 有罪を認めると言う不思議なものでした。

ハナ



8/26 ガザ シューズアクション 
先日23日に芝増上寺境内においてNGO共同で(アムネスティも参加)、イスラエルとガザのハマスとの戦闘によって 死亡した子どもたちを追悼するアクションが行われました。
亡くなった子供たちの写真を供えた祭壇を囲み参加した人々の靴を犠牲になった子供たち458人と同数 の458足を並べ、黙祷をささげました。夏空の下、蝉の声に交じって亡くなった子供の 名と年齢が一人一人読み上げられました。そしてハマスの攻撃でなくなったイスラエルのこども1人も。 それはとても悲しいものでした。
生後何か月の子、3歳、4歳、6歳、11歳 16歳と。なんと悲しいことでしょう。 この責任は国際社会にあると思います。このような事態を何年にも渡って許してきたのです。 イスラエルのジェノサイドはなんの制裁も受けずに見過ごされてきたのです。 子どもたちの死は私たちの無力の結果だと思わずにいられません。 南アのアパルトヘイトを断念させたように、パレスチナの地でも同じことができないはずがありません。 それを実現させるためには、やはり世界中が声を上げることです。絶対にあきらめてはいけないと 強く思いました。

  夏空へ 亡き子らの名消え 残るくつ
  ミンミンと 亡き子らいたみ パレスチナへ

ハナ




8/6 イスラエルの意図すること 
 またしてもイスラエルによる大量虐殺が起きている。
イスラエルは最初、イスラエルの少年3人がハマスによって、 殺されたとして、(ハマスは犯行を否定している) 何百人ものパレスチナ人を拘束した。 そして、パレスチナ人の少年がイスラエルの民間人によって、 焼き殺される事件が起き、ハマスのロケット弾攻撃が始まった。 これを口実にして、イスラエルのガザ攻撃は本格化していった。
しかし、ガザ攻撃が本格化するにつれて、イスラエルは 攻撃の理由をハマスのトンネル破壊であると変えてきている。 そしてこれはイスラエルの自衛のためであると。 この経過をみていると、少年が殺されたことはただの口実であり、 真の目的はパレスチナ人のジェノサイドではないかと思える。何年に1回おこなうジェノサイド。 (2008年以降3回)最終目標はパレスチナの地からの パレスチナ人追放、民族浄化なのではないか。今回の攻撃が始まった直後にそう感じたことが 間違いないように思えてくる。既にパレスチナ人の死者は1900人に達しようとしている。 実際はもっと多いかもしれない。子どもや女性、民間人が殺されていることは 未来をになうパレスチナ人がいなくなることを意味している。 イスラエルにとっては都合の良いことである。 現在のイスラエルは2国家なんて絶対に認めたくないのである。 ガザのハマスと西岸のファタファが協力することで一致したのを 破壊することが今回の攻撃の目的だという人もいる。

大手メディアの報道はイスラエルとハマスの暴力の応酬、 暴力の連鎖とし、解決不可能の事のように報道しているが、 ほんとうにそうだろうか。
なぜ、パレスチナ人が抵抗するのか。なぜ暴力に走るのだろうか。 その原因は一方的にイスラエルが作り出したものである。 パレスチナ人から取り上げた土地を返し、人間らしい暮らしが 出来るようにする。(家を恣意的に破壊、水資源を取り上げる、ガザを封鎖し、 人びとを天井のない収容所に閉じ込めている等々 イスラエルがパレスチナ人に様々な嫌がらせをしている)パレスチナ人の尊厳を守る。 パレスチナ人をゲットーから解放すること。(壁、検問所をやめる) これらを実行するならパレスチナ人の抵抗はなくなるだろう。問題は単純なのだ。

暴力の応酬? イスラエルとハマスの軍事力の圧倒的な差を考えるなら、 この表現は的外れだ。死者の数の差を見ても分かるが、ガザの町の破壊の すさまじさを見ればあきらかである。ハマスの攻撃で、イスラエルの兵士64人が死亡し、民間人死者は 最初と変わらず3人である。こんなにも割の合わない戦いをするハマスの 考えも理解しがたい。
ハマスやイスラエルに武器を売っているのは誰だ。 アメリカはイスラエルに、年間約30億ドル(約3000億円)の援助をしているがその殆どが軍事援助である。 このお金をアメリカ国民のために使ったら、どれほどの事が実現できるだろうと 思わずにはいられない。米国内からの声が事態を変えさせるもっとも有効な手段ではなかろうか。 世界各地で、イスラエルに対して抗議集会が行われている。 ロンドンでは10万人のデモがあり、パリでも政府のデモ禁止命令にもかかわらず、 数千人のデモが行われた。ニューヨークでも数万人のデモがあった。 その他、ドイツ、オスロ、スエーデン、ベルギー、アルゼンチン、南ア、 もちろんアラブ諸国。日本でも8月3日に、東京で600人ほどのデモがあった。関西でも集会があったそうだ。 東京新聞以外大手メディアはこのデモのことを報道していない。

日本政府はイスラエルとの経済、軍事協力を強化することを決めている。 私たちはジェノサイドに加担したくない。日本は国連におけるイスラエル非難の決議にも棄権した。 現政府の方針に深く絶望させられる昨今だ。

ハナ

 
8月3日新宿のデモ




6/12 「北朝鮮強制収容所に生まれて」を見る 
 「人間ってなんでもできちゃうんだなあ」と言うのが 映画を観終わっての第一の感想でした。 私の祖母が母たちが子どものときに、お化けを怖がると「お化けなんか ちっともこわくない。人間が一番怖いんだよ」とよく言っていたそうですが、 まさに真実。
北朝鮮の収容所で行われていること、このような収容所を存在させている国が あるということが恐ろしい。世界の各地で、似たようなことが行われているかもしれないが、 例えば、イラクのアブグレイブでのアメリカ兵による拷問、虐待、グアンタナモ収容所、 また独裁政権下における拷問、虐待はいまだになくならない。 しかし、これほどの数の強制収容所があるのは北朝鮮をおいて他にない。
ドキュメンタリー映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」は政治犯強制収容所14号管理所における、 両親の表彰結婚によって、この世に生を受けたシン・ドンヒョクさんの証言によって描かれています。 シンさんは2005年に収容所を脱出し、現在韓国で暮らしています。
彼は淡々と収容所での生活を語りますが、時々辛そうにします。 子ども時代にした自分の密告により母と兄が公開処刑されたときのことを 語ったときは「疲れたので休ませて」と言っていました。 しかし、密告したことを後悔しなかったと語っています。 それは悪いことをした人、しようとする人を密告するのは当然のことと、 教育されていたからだと言っています。それが親、兄弟だろうと。 だから自分は正しいことをしたとのだと思っていたそうです。 そして、お母さんが自分にはくれたこともない 隠していた食べものを脱出しようとしている兄に与えたことが すごく憎かったと言っています。
私は教育は絶大な力を持っているのだと思いました。特にまだ自分の考えが確立できていない 子どもに与える影響ははかりしれないと。 日本でも戦争中は殆どの子どもが軍国少年、少女だったようですから。 もっと昔にさかのぼれば、明治維新後の富国強兵、刻苦勉励もそうでしょう。維新後の 教育の結果です。それまでの日本人はかなりおおらかで、あまり働かなかったようですし、 貞操観念もかなりルーズだったようです。
いつも、飢えている収容所の人びとにとって、食べ物は絶対です。 シンさんは収容所で同室になった男から外の世界の食べ物の話を聞かされて、 死ぬまでに絶対にそれを食べてみたいと思い脱出を決意するのです。
そしてついに、その日が来ました。男と一緒に脱走を実行しますが、男は鉄条網で 感電死します。シンさんはその男の体の上を通って外に出ることができたのです。 私は「悪童日記」の少年を思い浮かべました。小説が現実になっています。
シンさんは収容所とまったく違う世界が北朝鮮にあることに、一番ショックを受けたそうです。 今、彼は自由な世界に生きていますが、韓国のお金、お金の社会にとても違和感を持ち、 自殺者の多いことに疑問を呈しています。これは日本にも言えることです。 収容所のなかでは自殺はないようです。皆、生への執着心はとても強いそうです。 この人たちに自由を、飢えからの解放、人間らしい暮らしをと願わずにいられません。 こんな施設を一日でも早く閉鎖させなくてはなりません。 そのためには、世界中の人びとがこの問題に関心を持つことが重要です。
〜「世界最大の悲劇は善意の人の沈黙と無関心」キング牧師〜
ハナ



5/2 出会い 
 10数年途絶えていた茶道と思いがけないきっかけで、 再び、毎月1回、楽しみながらお茶のお稽古が 出来るようになりました。
 ある方から、お茶に招かれることになり、折角の 機会なので、しばらく着る機会のなかった着物を 着て行くことにしました。私が着物で伺うことをお伝えしたところ、 茶会の亭主も「では私も」と、着物を着ることになりました。茶会の亭主は もう死ぬまで着物は着ることはないだろうと思い、着物を相当処分したようですが、 これをきっかけに思いがけず着物を着るようになられました。 私も毎月1回は着物が着られるようになり嬉しいです。

 こんな些細なことですが、人との交流、出会いは面白いですね。 思わぬ影響を人に与え、与えられ、新しい展開が始まります。 一人では生きられないし、人とのつながりで、自分自身も変化し、生活も変わって行きます。 若い時にはこうしたことに少しも気が付きませんでした。 すべては自分が決めていると思っていたのでしょう。 やっと、このような人生の妙味に気が付くようになりました。 本当に、人との出会いは不思議です。

 すべての営みに言えることでしょうが、例えばアムネスティの 活動をしていなければ、絶対に出会うことのなかっただろう人たちに 出会うことができ、面白いことや勉強になることを経験させてもらいました。 それは自分の世界を広げ、人生に彩りをつけているのではないかと 感じています。
〜今、この時を生きる〜誠実に。


ハナ




2/6 NHK会長発言 
NHK会長の就任記者会見の発言が問題になっています。
アムネスティ・日本も従軍慰安婦に関する発言に抗議しました。 他の問題に関しても、首をかしげてしまう発言をしています。
 特定秘密保護法に対しては「法案がもう通ったんだから、 もう言ってもしょうがない。 世間が心配するようなことが政府の目的なら大変だが、 それはないのではないか。政府が必要だということだから様子を見る」と言っています。 これではジャーナリズムの使命を放棄し、 政府御用放送をしますと宣言しているようなものです。 お上のすることに間違がいはないと、考える人なのでしょう。 私たちはこのような考え方により、 第2次世界大戦でひどい目に遭い、また世界の人びとを 犠牲にしたのではありませんか。
なにか問題があれば、それを取り上げ検討し、 報道することが仕事のはずです。 その過程でさまざまな意見を紹介することは当然ですが、 それが片方に偏った時に公正、公平が問われるのだと 思います。公平、公正は難しい問題です。 ある人にとっては公正、公平でも、他の人にとっては 公正、公平でないかもしれません。
放送法4条には「できるだけ多くの角度から 論点を明らかににする」とあるようですが、会長発言は この点にも反していると思います。

 領土問題で「政府が右と言うものを左と言うわけにいかない」と。 この考え方から今後のNHKの姿勢が想像されてしまいす。 領土問題にとどまらずあらゆる問題に敷衍されて行くのではと 恐れます。トップの意向を汲んで自主規制して行くのでしょう。
NHKは国営放送ではありません。公共放送です。 私たちの受信料によって成り立っています。このことからも NHKがどちらに向いて仕事をしなければならないのか 一目瞭然です。政府ではないのです。

籾井会長は個人の発言としていますが、このような考えしか 持っていない人はジャーナリズムの仕事に 携わるべきではありません。報道、放送は普通の会社経営とは違う使命を持っていると思います。
元従軍慰安婦たちは補償だけを求めているわけではありません。 なによりも傷つけられた誇りを取りもどすために、 日本政府の真の謝罪を求めているのです。 またこの問題で他国を引き合いに出して、どこにも慰安婦が いたと言っていますが、だからと言って日本の責任が 免れるわけでもなく、非常に品のない発言で、 NHK会長にふさわしくないです。このような人を任命した人たちの 責任も問われるべきです。

ハナ




2014・1/5 あけましておめでとうございます

ハナ



  12/07 怒りの朝  
昨年の12月17日の朝は胸ふさがる朝でしたが、今年の7日は怒りと悔しさで、 胸がたぎる朝でした。12月が嫌な月になってしまいました。
1960年じいさん、2013年孫に市民の声が踏みにじられたのです。


ハナ



  11/04 映画「TRASHED」を見て  
映画「TRASHED」を見てきました。
イギリス人のアカデミー賞受賞俳優ジェレミー・アイアンズが 制作に携わったイギリス映画です。 この地球上において、今、まさに進行中のゴミ問題を追及した映画です。 ジェレミー・アイアンズが世界各地のゴミが引き起こしているすさまじい現場を歩きます。

中東レバノンの海岸線はありとあらゆるゴミで断崖絶壁ができています。 想像を絶する光景です。青く美しい海との落差に眼をつぶりたくなりますが、これは人間の行為の結果なのです。

インドネシアのジャカルタでは、貧困層が暮らす川沿いの地域は 住民がゴミを全て川に捨てるために、川面はゴミでうめつくされています。、 人びとはその川で、体を洗い、洗濯をし、飲み水にしています。
そして行政も何のゴミ処理もせずに、ただゴミを捨てて行くだけなのです。 そのため、ゴミの山が発火し、有毒なガスを発生させています。
そのゴミの山の上を大人も子どももゴミを拾うため、1日中歩いています。 この人たちはいつか病気になってしまうでしょう。

私たちが日常、使っているペットボトル、ポリ袋(レジ袋)、プラスチック、その他、化学物質から 作られたゴミは焼却するとダイオキシンを発生させます。 ダイオキシンの有害性はひろく知られていますが、その代表的な例として、 ベトナム戦争時にアメリカによって散布された「枯葉剤」の被害が提示されました。
ジェレミー・アイアンズはベトナムの病院を訪れ、ホルマリン漬けにされた 奇形胎児の標本を見ます。眼が一つしかない児、眼が飛び出ている児、 頭が異常に大きい児、顔が変形している児、手足がない児。 私は気が付いたら、自分の喉を両手て押さえていました。あまりの恐ろしさに。
ダイオキシンの影響は今も続いています。何代にもわたって続くのです。 母親は出産によって、体内に取り入れたダイオキシンを体外に排出しますが、 胎児は母親のダイオキシンを体内に蓄積して生まれてくるのです。

アイスランドでは焼却炉より排出されたダイオキシンによって、家畜が被害を受けています。 人間も被害を免れることはできません。ガンを発症する人が増加しています。

プラスチック、ポリ袋は永久に無くなりません。何年も世界の海を流れ、流れても 細かくなるだけです。魚たちがその細かくなったプラスチックをプランクトンと 間違えて食べてしまいます。その魚を私たちが食べます。
魚、クジラ、イルカを解剖するとお腹の中からレジ袋、プラスチックその他のゴミが 出てきます。なんと言うことでしょう。

ゴミが自分の目の前から消えれば、ゴミの事をすっかり忘れてしまう私たち。 何も考えずに、物をどんどん消費して快適で便利な生活を追い求めてきた私たちの 行為がこんなにも地球を、地球上に生きるあらゆる生き物を傷つけていることに 気付かさせられます。
この問題は他の誰でもない人類の責任であり、代償を払うのは地球上に住む すべての生き物であると、映画は訴えています。

私たちに、何ができるのでしょう。
ゴミをできる限る少なくすること。過剰な包装を避ける。レジ袋使わない(自分の袋を使用)。 ペットボトルをできる限り使わない。そして重要なのはリサイクル。 レジ袋を作るために大量な石油が使われています。近い将来、石油が枯渇すると予測されているのに、 もったいないことです。

EUで発表されました。EUでは年80億枚のレジ袋が投げ捨てら 深刻な海洋汚染が起きていると。2010年、EUでは約1000億枚のプラスチック製の袋が使われたそうです。 うち9割がレジ袋だということです。 EUだけでもこの数量です、世界中でどれだけ使われているのか。推して知るべしです。
レジ袋の使用数はエコバッグが普及しているデンマーク、フィンランドでは1人当たり年4枚以下、 ポルトガル、ポーランドでは460枚超えです。日本はいったい何枚になるのでしょうか。 相当な数字になると思われます。
EUは年40枚以下に減らすことを目標にします。 私たちも、この目標をめざして努力しなければならないと思います。
いままでの生活を見直すことが私たちに求められています。

ハナ



  9/18 福島でプライスコレクションを観る  
私は先日、プライスコレクション 江戸絵画の美と生命 「若冲が来てくれました」を観に福島県立美術館まで 行ってきました。
江戸絵画の世界的コレクターであるプライス夫妻が 東日本大震災復興を支援し、東北の人びと特に 子どもたちに絵を通して生きる力と心の支えを 感じてもらいたいとの思いで開催されたものです。
仙台、盛岡そして福島が最後の展示です。 9月23日で終了します。

コレクションは膨大です。若冲は勿論素晴らしいのですが、 蕭白、芦雪、酒井抱一、鈴木其一、森狙仙の作品も本当に 素晴らしいものばかりでした。
すごいコレクションの数々で圧倒されますが、コレクションの作品全体から 受ける印象は何かすっきりとした、やさしさと、品の良さです。 抱一、其一、狙仙の作品からは絵のうまさだけでない品の良さを感じます。
どんなに素晴らしい絵でも品が良いとか、そうい言ったことを思わせない絵は 沢山あります。何故でしょう。作者から自然ににじみ出てくるものなのでしょうか。 今回のプライスコレクションを観ていて、コレクション全体からも同じことを感じました。

素晴らしい絵画の数々を堪能して、少し疲れを感じながら建物の外に出ました。 福島県立美術館はすぐ後ろに山を控え二階建ての横に長い建物です。 広々とした庭の緑と建物の赤茶のレンガ色がマッチしてとても素敵です。
庭でしばらく休みました。優しい風が心地よく、うっとりしてしまいましたが 「あぁーこの風にも放射能が含まれているのか」と思った時、目の前の美しい景色との あまりの落差に、なんて無惨なんだろうとその理不尽さに胸が波立ちました。
美術館の庭の植え込みに「高い放射線量のところがあるので立ち入らないでください」 と書いた看板がありました。 これが放射能とともに生きて行くということなのでしょう。 しかし、こういう現実は原発がある所ならいつ起きても不思議ではないということです。

ハナ



  8/6 深く、静かに自民党の改憲案を検討してみましょう(麻生発言より)  
7月29日のシンポジュウム(「国家基本問題研究所」桜井よしこ理事長)での麻生副総理の発言はもう過去の出来事となって、 忘れられてしまうのでしょうか。 しかし忘れ、見過ごしてしまってはいけない重大な示唆が含まれています。

麻生氏は「ドイツ国民はヒトラーを選挙で選んだ」「民主的なワイマール憲法下でヒトラーが 出てきた。常に憲法が良くてもそういうことはある」と言っています。 だから怖いのです。
時代の空気、状況に大衆は影響されやすいのです。ドイツでも日本でも熱狂的に戦争が 支持されました。勿論、反対の人も、時代の流れに懐疑的な人もいましたが、社会の 大きな潮流に飲み込まれてしまいました。
戦争を遂行する政府、それに追随する報道機関、盲目的に政府やメディアの言うことを 信じる国民たちの力にあらがうことは非常に勇気がいるし、難しいことです。 大言壮語する大きな声にまどわされないで、自分の考えを持ち、それを表明することは、 狂乱の時代に遭っては本当に難しいことでしょう。
皮肉なことに、麻生氏の発言は私たちに過去の出来事をふりかえり、現在の状況を、 省みることを教えてくれています。
気が付いたら、憲法が変わっていて、思ったことも言えないような世の中になっていた なんてことにならないように、深く、静かに自民党の改憲案を検討してみましょう。

「静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、 ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。 」
麻生氏の発言を言葉通り素直に聞けば、私にはこう聞こえます。 「政府・自民党はナチスの手口をまねて、国民が気が付かないうちに、 静かに憲法をかえればよいのだ」と。
そして、自分たちは何十時間もかけて、議論をし検討を重ねて作り上げた改憲案であると 言って、自慢げです。「だから黙って、静かに従えばよいのだ」と言っているように、 私には聴こえます。国民を下に見ている目線が透けて見えます。
また、麻生氏がおっしゃる「ナチス憲法」なるものは存在しないそうです。 国を代表する人がなぜ、こんないい加減なことを言うのでしょうね。
ヒトラーのナチス政権が力に物を言わせて国会より立法権を奪い、「全権委任法」を 成立させたそうです。これではしたい放題ですよね。
今回の発言はユダヤ人だけでなく、ドイツ、日本国民双方を傷つけたのではないでしょうか。 第2次世界大戦後のドイツ国民がナチス政権下の罪障を償うべく様々な努力を してきたことを侮辱するものです。 そして、国際社会での日本の信頼も傷つけました。

ハナ



  7/8 自民党改憲案は公益と公の秩序がお好き! 
自民党の改憲案をゆっくり読んでみたら”びっくり”
特徴をあげてみると、こんな風です。
1 個人、市民、権利が嫌い
2 家族が好き
3 公益と秩序が好き(4回も使われている)
4 個人の自由は嫌い
5 義務が好き
6 国を愛し、伝統を守り、日本国に誇りを持ち、 国家に奉仕するのが国民であると思っている
7 戦争をすることを想定しているようだ
8 天皇の別格扱い
 私はこのように読み取りました。

例えば、第21条 表現の自由は集会、結社、言論、出版その他一切の 表現の自由は公益および公の秩序を害する場合は認められないと 改憲案ではなっています。これでは権力が公益および公の秩序を害すると 判断したら、すべての表現の自由が制限されてしまいます。 その時の権力にとって都合の悪い言論、集会、活動等ができなくなる 恐れがあります。
アムネスティの活動にも制約が及ぶ時が来ないとも限りません。 メディアもジャーナリストも自分たちの存在の危機がくるかもしれません。 しかしその報道から危機感が感じられないのは何故でしょう。

アムネスティの活動に関連すると思われるのは
 ・21条の表現の自由、
 ・11条の基本的人権(制限したい意図があるのでは?)
   現憲法の基本的人権に言及した97条を削除
 ・18条の身体の拘束、苦役(政治的行為による拘束、苦役はあるのか?)
 ・34条の抑留、拘禁に関する条項
 ・36条の拷問、残虐な刑罰の禁止(絶対に禁ずるの絶対を削除)
 ・98条の緊急事態宣言
   (緊急事態を宣言すれば人権は制限されるのはあきらか)

まだまだ関連することは他にもあるかもしれません。
様々な条項で「むぅむぅむぅー」となります。時代を後ろ向きに歩いていくのでしょうか。 不景気はリベラルを吹き飛ばすのでしょうか。世界各地での右傾化が危惧されます。世界はどこに向かって行くのか。
この改憲案から強烈に感じられるのは私たち市民を上から見下している視線と 私たちをあくまで統治される国民としか見ていないことです

ハナ






  4/21 イラク戦争開戦から10年 (1)
2013年3月20日、早稲田大学において「イラク戦争開戦から10年、今を問う」 「イラク戦争の10年と日本」と題して集会がありました。
主催はイラク戦争10年実行委員会。早稲田大学平和学研究所共催で行われました。 参加者500人の大盛況でした。
今ではイラク関連の報道は新聞の紙面のほんの小さな記事にしか なっていません。メディアからほとんど消えていると言ってもよいでしょう。
それなのに10年たって、これだけの人が集まったことに驚きと感動を覚えました。

イラクと日本および世界の平和を実現するための早稲田宣言では、
2003年3月、米英国を中心として開始され、日本が支持、支援したイラク戦争は 世界人権宣言にうたわれている精神とは正反対のものであることを確認しています。
イラク戦争で少なくとも11万人の民間人の命が奪われ、現在も国内外で300万人の人が 避難生活を強いられていることに言及し、 日本によるイラク戦争へのかかわりを検証することは歴史的、国民的課題であること、 イラク戦争は日本国憲法前文にも反していると言っています。
1 日本政府へはイラク戦争への支持、支援について検証すること
  同時に市民による検証も行うこと
2 市民による国際刑事裁判所での訴追等を国際社会に求めること
3 政府、市民が劣化ウラン弾が原因と思われる健康障害への支援を行うこと
その他の行動を提起しています。

ハナ



  4/21 イラク戦争開戦から10年 (2)

早稲田大学で行われた集会での4つあった分科会のなかで、 「イラク戦争と劣化ウラン」と「アリさんと語るイラク占領の現実」に参加しました。
「イラク戦争と劣化ウラン」分科会はイラクの医師ジャワッド・アルーアリ、同じく バスラガンセンターの医師カリーム・アルーエマラさん他で行われ、 劣化ウラン兵器問題の現状と禁止に向けた展望について話されました。
アメリカは1991年の湾岸戦争と2003年のイラク戦争で劣化ウラン兵器を 使用しました。分科会で語られたことを簡単にまとめてみました。

イラクには劣化ウランで汚染されたところが300か所以上あり、 この二つの戦争以降ガン、先天性異常、腎臓、筋肉の異常、感染症が 増加しています。特に乳がんが異常に多いことが分かっています。
1 ガンの発生率の増加が死亡率を高くしている。また小児がんも増加している。
2 ガン増加の原因を特定することは難しいが、劣化ウランが原因の一つであることは まちがいない。
ガン登録を充実させることが非常に重要である
3 イラクでは自宅出産が多いため、新生児に問題があっても報告されることが なく、正確な状況の把握を難しくしている
4 長期間にわたる経済制裁でイラクの経済は停滞し、医療の分野でも医薬品の不足、 医療器械の不足、医師の不足が治療に深刻な影響をあたえている
5 医療、教育の分野での日本の協力を希望
6 現在のイラク政府の腐敗と闘い、真の主権回復を実現し、 劣化ウラン兵器の使用禁止を世界に訴えること
(現在はベルギーとコスタリカ2国のみが使用禁止の法律を成立させた)

ガンその他の病気の原因を特定することの難しさは日本おける 水俣病、イタイイタイ病、広島、長崎の原爆病、その他の症例に対する 政府、企業、司法の対応をみればあきらかです。
現在もまだ問題は継続中です。これからは福島原発事故による放射能障害が 同じ道をたどるのではないかと懸念します。
イラクを思い、日本を思う1日でした。

ハナ



  1/20 今年のめじろ
今年もみかんを食べにめじろがきています。
今年のめじろはお行儀よく交代でみかんをたべます。
そして、一通り食べ終わると、すっかりくつろいでどうだんの枝のしげみで毛づくろいを 始めます。ぴったりと寄り添い、おたがいをつついたりしています。 とっても可愛いです。
長年、見ていますが、こんな姿を見るのは初めてです。



ハナ



  2013・1/5 あけましておめでとうございます


ハナ



  12/17 12月17日の朝
胸がふさがる朝です。
今日の雨が私の涙。今日のくらい空が未来を暗示。
予想されていたとはいえ、こんなにも無惨であるとは。
何が取り戻されるのでしょう。
権力?もう二度と戻って こないだろうあぶくのような繁栄?
私たちが失うものの重大さを思うと、胸がつまります。
気分をすこしでも変えようと、私の大好きな陶芸作家の作品を 箱からとりだして見ることにした。しかしそのあまりに美しい 青い色をみたら、泣きそうになってしまった。


ハナ




  11/21 ガザ空爆・爆撃で思うこと
世界のどこでも大手メディアの報道のおおかたはハマスが ロケットをイスラエル側に打ち込んだため、ガザを空爆しているという イスラエルの主張に沿った報道をしているようだ。
しかしチョムスキー等はハマスがロケット打ち込むにいたるには 伏線があったと指摘している。(http://stopwar.org.uk/index.php/palestine-and-israel/ 2027-who-is-doing-the-killing-in-gaza-noam-chomsky- and-others-challenge-the-worlds-media参照)
ハマスとイスラエルの間には圧倒的な軍事力の差があることは誰の目にも あきらかだ。イスラエルがガザを攻撃するのは赤子の手をひねるようなものであろう。
ハマスも当たりもしないロケット弾を発射しなければ良いのにと思ってしまう。 イスラエルの攻撃は過剰な武力行使としか思われない。
イスラエルは停戦の条件として15年の停戦を要求していると報道されている。 戦争をしないことを切に願うが、ガザを封鎖し、ガザの経済、生活を破壊し、ガザを 屋根のない監獄にしていることはどうなるのか。
西岸でもパレスチナ人の生活を破壊し、2008年のガザ攻撃で多くの人を殺し、 いまもまた、同じことをしているイスラエルはどう裁かれるのか。
2008年のガザ攻撃でのパレスチナ人死者は1400人、今回の死者はすでに130人を超えた。 この12年間でイスラエル人犠牲者は26人である。
写真の男性が掲げているプラカードがすべてを語っている。


ハナ





  11/5 Change.orgは社会を変えられるか 
ソーシャルネットワークで問題を提起し、署名を集め問題解決を促すサイト Change.org日本語版が7月にできて、もうユーザーが4万人を突破しました。
私も堀米ゆず子さんのヴァイオリン返還を求める署名に参加しました。 この署名運動だけで、堀米さんのヴァイオリンが無事返還されたとは 思いませんが、ある役割は確実に果たしたのではないでしょうか。
インターネットが普及して確実に世界は変わっていますね。 このようなサイトが世界中で作られ、人びとが瞬時に 意思表示できる時代になっているのです。 インターネットは悪用されれば非常に怖いけれど、 無名の人びとが自分の意見を意思を世界に発信することができます。 世界はつながっている。それにもかかわらず、ひとびとは濃密な関係を失い孤独に なっているようにも思えます。
これからどんな世界が待っているのでしょうか。
 *Change.orgでキャンペーンを発信したい人はinfo_jp@change.org へ質問を

ハナ



  10/8 世界死刑廃止デー集会
10月6日(土)、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90主催の 世界死刑廃止デー企画「響かせあおう死刑廃止の声」2012が 東京四谷区民センターのホールで行われました。 ほぼ満員の盛況でした。
アムネスティ・日本からも「死刑廃止に向かう世界の動き」が報告されました。
その後「原発を考え 死刑を考える」と唱って、講談師の神田香織さん、 独立メディアOurPlanet TVの白石草さん、俳優の山本太郎さん、 司会は安田好弘弁護士というとてもユニークな顔ぶれで討論が 行われました。
死刑と原発。どういう風に結び付けて行くのかと 思いましたが、3人のパネラーは結局、死刑も原発も権力を持った 強い者が、力を持たない弱い者を犠牲にする構造は同じだと いう結論で一致したように思いました。
そして私たちは本当に力のない弱い者なのか。 そうのように思い込まされているだけなのではないのか。 一人一人が自分の考えを持ち、自分の力を信じれば、 この社会を変えていけるのではないのかと話されました。
確かに、自分の非力さを思うとき、絶望的になります。 しかし今日まで社会が少しづつ変わり、進歩してきたのは 希望を失わず、未来を見据えた人びとの行動の結果でしょう。 山本太郎さんが36歳になるまで、社会のこと、政治のことに 関心を持たずにきてしまったが、原発事故をきっかけに 関心を持ちはじめたことを恥ずかしそうに述べたのが とても印象的でした。関心をもって社会を見ると、 すべての問題はつながっていることに気付いたと話されました。 いくつになっても、きっかけと気付きさえすれば変わることができるのですね。 だから決めつけてはいけないのですね。 太郎さんのお話はちょっと感動的でした。
3人は最後に市民のための市民によるメディアが欲しいと言われました。 アメリカは通信が自由化されているので、巨大メディアもあるが 市民が運営する放送も結構あるそうです。日本もそうなればよいですね。
討論の後、死刑囚たちの文芸作品、絵画作品が紹介されました。 数年前にも絵画作品を見ましたが、ずいぶんレベルが上がったと感じました。
和歌山カレー事件の林真須美さんの作品
  春が来た 松っちゃん殺され 泣き桜
  (松っちゃんとは3月に死刑執行された松田康敏さん)


ハナ



  9/19 19兆円の復興予算のゆくえは?
私はNKKスペシャルで放送された時に見逃し、 ユウ―チュウブにアップされたのを見ました。
「復興予算はどこへ」
驚きです。まったく、官僚の感覚ってどうなっているのでしょう。 あんなにも被災地の人びとがいまも日常を取り返せずに、 大変な日々を送っているというのに。
そして、私たちの税金を大切に使うという気持ちは ぜんぜん、無いようですね。この復興予算のために所得税増税、住民税増税が今後25年間続くのです。 お金はいくらでも湧いてくると思っているようです。 すこしでも節約するということはないのでしょうか。大判ふるまいで予算をつけています。 それでいて公共施設を廃止したり、生活保護支給に文句をつけたりしてますよね。 復興予算は被災地、被災者にだけ使って欲しいです。
被災地以外の案件は205件、2兆円だそうです。 捕鯨だ外国の青少年の観光(日本への理解を高めるとか理由をつけていますが)、被災地と関係ない港の工事、テロ対策、国立競技場の改修等々、 各省庁の予算分捕り放題です。 きりがないです。まだまだ詳細に調べれば沢山あるのでしょうが、 番組では代表的なものを取り上げていました。一見の価値があります。
こんな呆れた税金の使い方を見過ごしてはいけないと思います。
番組はこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=5B9b2Q_GNnk
ハナ



  9/12 WHOは原発事故による放射能については何にもしないのかな?
WHO(世界保健機関)はIAEA(国際原子力機関)の許可なくしては 原発事故で影響をうけた市民の救助、情報提供、研究ができないということを 知っていましたか。私はぜんぜん知りませんでした。驚きですね。
IAEAと取り決めをしているそうです。 ですからWHOはもう2年前に「放射能と健康」部門を廃止しています。
WHOの独立を求める人たちが2007年から週末をのぞく毎日、WHO本部前で プラカードをかかげるだけの無言デモを行っているそうです。 WHOのIAEAという原子力ロビーからの完全な独立と、憲章にかかげる 世界のすべての人びとが必要な情報を得られるための援助をすることを 要求しています。
彼らは2012年5月に、ジュネーブで「放射線防護に関する科学者と市民フォーラム」 副題は「チェルノブイリからフクシマまで」と銘打ってフォーラムを開催しました。 ヨーロッパから200人余、日本から20人が参加したそうです。
フォーラム開催の理由はフクシマの惨事以後、日本の研究者、市民が原子力ロビーに 属していない外国の専門家に情報や助言を求めているからだとしています。
これはしばしば指摘されていますが、フクシマの事故以後みんなが政府、権威が 述べることを信用しなくなったということですね。 政府や偉い先生が言うことはみんな間違っていましたものね。 しかし片方には 問題を提示し真実を追求しようとする人びとがいます。

*IAEAは原子力の平和利用をすすめ、原発推進機関ともいわれている
ハナ





  8/6 空からきたテディベア
7月4日、ベラルーシにおいて空からテディベアがパラシュートをつけて 降りてきました。ベラルーシの人々の言論の自由へのたたかいをサポートするために。 なんて素敵なんでしょ。
これはスウエーデンの広告会社に勤める2人が軽飛行機でリトアニア南部の 飛行場からベラルーシの領空に飛び1時間半にわたって飛行し テディベアを降下させたものです。
「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ大統領は怒り心頭。 国境警備委員長と防空司令官を解任。あらたな国境警備委員長にあらゆる手段で 国境侵犯を防ぐよう指示しました。投下されたテディベアの写真をネットで 公開した学生を逮捕したそうです。しかし学生を逮捕して何になるのかと 思いますね。この学生を黙らせてもほかの誰かが同じことをするでしょう。 独裁者はどこでも弾圧の手法が同じのようです。

ハナ





  6/19 橋下旋風に考える
18日の「読売新聞」の世論調査結果を見ると、 「「橋下維新」国政へ期待65%」ということです。 正直言って、不安を覚えざるを得ません。
4月1日の自分のブログ記事で、 「小泉純一郎氏にも懲りずに今度は橋下氏を支持している人たちをみると、 イソップ物語の中の、王様を求めたカエルの寓話を連想してしまうのですが・・・。 最後に王様=コウノトリ(ツル?)に喰われてしまうカエルです」などと アカラサマに書いてしまったことを思い出しました。
対象が誰であれ何であれ、過度の期待は結局は裏切られるものと相場は決まっている し、 自ら墓穴を掘っているような危うさを感じてしまいます。 「新しい何か」に期待をかけたい気持ちはわかりますが、 たとえばピースおおさかや人権博物館(リバティおおさか)に対する 橋下氏の姿勢だけ見ても不安を感じます。
今は世論の中の多数派に属していると思っている人は、 何かのきっかけで多数派に指弾される少数派とされてしまう可能性は 考えないのでしょうか? 
たとえ「けむたいヤツら」と目に映っても、少数派の尊重、異論の尊重は、 個々人の、つまり自分も含めてすべての人々の尊重につながります。
ヌルボ



 
  6/3 イタリアの福島原発署名運動
イタリアの福島原発事故に対する運動の情報をお知らせします。
福島原発事故の情報は外国メディアのほうが日本のマスメディアより深く取り上げているようです。 そのためでしょうかこのような運動が起こるのは。当事国の国民として無関心では すまされないと思います。
イタリアの脱原発国民投票から1年の6月12日に日本政府に署名を提出し、 同時にローマでは環境団体による合同のイベントが開催される予定だそうです。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

去年6月に国民投票で脱原発を決めたイタリアから、日本の現状に詳しい物理学者数名が発起人となり、 5月17日、「日本に原子力モラトリアムと福島原発の核燃料の即時撤去を求めるアピール」が出され、 署名活動がスタートしました。
「脱原発」を目指す政策を事実上、放棄した野田政権に、 以下の4点を求める国際的な呼びかけです。
1.現時点で止まっている原発を再稼働させないこと。
2.深刻な破損を被った使用済み核燃料プールから一刻も早く燃 料棒を取り出し、他所に移す処置を行なうこと。
3.子どもたちをこれ以上被曝させないよう、放射能に汚染された地域から早急に避難させること。
4.東京電力の事故対処能力 の欠如が明らかになった以上、 国連のもとに福島の事態打開のための学際的な国際的機関を設置するよう努めること。
と同時に、日本の外で「フクシマ」覆っている沈黙の壁を破ろうと、 現存50基の原発が止まっても電力供給に問題が生じていないことを含め、 最近の状況についても広く知ってもらうのも狙いです。
署名サイト
 http://isdepalermo.ning.com/notes/Fukushima (イタリア語)
http://www.ecceterra.org/images/articoli/energia/nuke/appello.           fukushima.giapponese.pdf(日本語)
  には、イタリア語、英語のほか、日本語、アラビア語、スペイン語、フランス語版のアピールもアップされていて、 各国語でアクセスでき、国籍、年齢に限らず、 どなたでもご賛同頂けます。(近々、ロシア語・ベラルーシ語も加わる予定)
日本国内からも続々と署名が届き始めています。ぜひ皆様もどうぞ! 周囲の方たちにもお声をかけて頂けると嬉しいです。
また、海外のお友だち、お知り合い、興味をもってくれそうな団体等に思いっきり広めて下さい。
ハナ



  5/26 名張毒ぶどう酒事件
再審棄却にものすごく怒っています。
失望と怒りでいっぱいです。
袴田事件再審も心配になってきました。

今回は怒り草です
ハナ

  5/12 低線量被曝時代の生きかた
20代の時に広島で被爆され現在95歳。いまも活躍されている医師肥田舜太郎さんの お話を読みました。(市民意見の会会報)今とこれからをどう生きていけば良いのかを 教えられました。
福島の原発事故以前からずうっと私たちは被曝していたのです。日本にある50数基の原発は完成以来 国際的に認められている放射線量を放出し続けているのです。どんなに微量であろうと 体内に入った放射線は無害ではありえないというのが肥田先生の意見です。 広島、長崎で被爆した人でも80、90歳を超えて元気に生きている人がいます。 同じ爆心地で被爆しても人によって大いに違いがあるのをかねてより不思議に思って いましたが、肥田先生によると放射線をあびても全員が病気になるわけでも死ぬわけでも ないと。問題はその後の本人の生き方にかかっているそうです。 免疫がおとろえて発病するのを防ぐためには「食事を大切にし、日常の生活を整える」ことが 大事と言われています。それはどういうことかと言うと私たちが昔から良いと聞かされている生活の 仕方です。
1、早寝、早起き 2、三回の食事、ご飯を30回以上噛んで食べる 3、快便、快眠  何千万年と続いてきた太陽とともに生きる習慣を取り戻し、自分が自分の命の主人公になって 生きることだと言っています。しかし現在はこの簡単、明瞭なことを実践することが難しい社会になってしまいました。 働きかた、住環境、また刺激的な文化環境等々が私たちの暮らし方を変えたのです。
先生は低線量放射線の内部被曝に負けないで長生きするには煙草をやめることと 自分の努力しかないと言っています。そして自分の時間のうちなにがしかを人のために使う。 そういう生き方をしていけば原爆も原発も無くすことができると。
日本人は人権の自覚を持っていないことが世界の内できわだっていて、それは教育勅語の影響が いまだにあるからではないかと言っています。まったく、私たち日本人は従順すぎるかもしれません。 権力を持つ者の言うことはなんでもおとなしく聞き、自分たちの権利が侵害されても怒りません。 こんなに統治しやすい国民はいないのではないかと私は思います。 先生は自分の権利が侵害されたら怒ることを勧めています

怒り草ではなく碇草です

ハナ



  4/25 写真家ジェームズ・ナクトウエイ
アメリカの写真家ジェームズ・ナクトウエイは長年、アフリカ、中東、アジア、ヨーロッパ、中米等世界中の紛争地、 問題のある場所で 危険ととなりあわせで写真を撮っています。
ドキュメンタリー映画「戦場のフォトグラファー ナクトウエイの世界」も 数年前に公開されました。私の好きな写真家ジェームス・ナクトウエイが何年か前にNHKの番組「未来への提言」で 語った言葉を書いてみます。
写真を撮る意味、人間について、時代、社会について透徹した眼で語っています。 そして私たちに希望と生き方について考えさせてくれます。

人びとの問題意識を高めることが重要である。そのために写真を撮る  (ナクトウエイは別のところで社会問題は発見されなければ解決されないのですと語っています。 それが報道の重要な一面でしょう。またアムネスティ等の団体の活動の重要性にも言えると思います。
人びとの関心を呼び起こし問題解決の糸口をつくること。一気に問題は解決せず気が遠くなることもあるが、無関心では 何も変わらない。)
写真は瞬間を凍結する。それゆえに被写体はその時代を、そのものの背景、性格まで表現している。
人間への希望を持っている。(人への愛)世論で変わる現実がそれを表している。
(私はしばしば人間に絶望し未来を悲観的に考えてしまうが、あんなにも世界中で過酷な現実に 直面しているナクトウエイがこんなにも希望を持ち続けていることに驚きとともに尊敬の念を持ちます。 愛が沢山あるんですね。)
戦争を続けている人類はいまだに野蛮である。戦争のなくなる日をめざして生きてゆく。
未来への提言
 忍耐 尊敬 勇気 優しさ 思いやり 寛容 誠実

(自分を反省します。これらを忘れないように、難しいなあー)

こちらからある授賞式のスピーチの映像が見られます。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/james_nachtwey _s_searing_pictures_of_war.html

ハナ



4/11 アムネスティの広告
スイスで展示されたアムネスティ・インターナショナルの広告を紹介します。 透明なボックスにとじこめられた人権侵害の姿はちょっと衝撃的ですね。 闇の中で行われる人権侵害を白日の下にさらしています。見る人の意表をついています。 「ここでは起こっていないが、今、どこかで起こっている」とコピーがついているそうです。
アムネスティ・インターナショナルの広告は 大胆でインパクトの強いものが多いですね。これを日本で見せたらどんな反応が あるでしょう。拒否反応を示す人もいるかもしれません。
こんな広告を街中に展開できるのはアムネスティの存在がヨーロッパで いかに大きいかがわかります。日本との違いを思い知らされます。




ハナ





 
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